Plurarity Tokyo Session2 Slido 質問
多様な意見に触れる事が、自分の考え方の広がりを広げてくれるかもしれないかと思いますた。お伺いしたいのは、ポリスを使っての議論が深まり相互理解が進む場合と、一方で議論は進むが相互理解が進まない様にみえるトピックと、別れるケースはありましたか?
複雑なトピックについてどれだけ意見を集約しても全体的な創造的なデザインの観点がないと衆愚政治になってしまわないか?
台湾での事例を知りたいのだが、過激派はpolisを使用しても妥協点を見つけられないはずで、その場合過激派はより過激になるのか?それとも孤独だと知って過激派をやめるのか?
zenについて学んでどうだったか?個人的にはzenは仏教の2つの瞑想のうち一つしか受け継ぐことができていないので悟りに近づくことはできないと考えているが (edited)
このようなツールを使いこなす、デジタル民主主義時代の政治家や政党は、これまでの政治家や政党とは具体的にはどう違ってくるのでしょうか。
日本の投票率は下がり続けています。現在の腐敗した政治を目の当たりにし、若者の政治離れも顕著です。民主主義はもはや機能していないのではないかと思いますが、この状況を改善するためにテクノロジーで解決できることはあるのでしょうか?
polisを用いた可視化は二次元のみでしょうか?ユーザとして、多元的な意見の距離を可視化するために意識することはありますか?そもそも可視化する課題の単位をコントロールするなどでしょうか? (edited)
政治の組織構造は時に集約化したり時に分散化したり、その偏移がなめらかでpluralである方が良いと思いますが、ブロードリスニングの能力増強によって分散化した場合、集約化はもう起きないのでしょうか?
Deliberation is not just about aggregation of preferences. Can Polis play a role in the generative side of deliberation (changing opinions, shaping discourse)?
"観測するためのメガネ"としてのツールの場合、現実問題として為政者はそれを活用しないという選択肢もあるかと思います。結果としてその結果を為政者の行動変容を目指すときに、次のアクションとしてどういうことが考えられそうでしょうか。
新聞にはかつて強力な議題設定機能がありました。ブロードリスニングにも同様の機能が期待されています。新聞の議題設定機能とは大きく異なるポイントはどこですか?